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節分

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節分とは、本来立春・立夏・立秋・立冬の前日のことを指し、「季節を分ける」ことをも意味しています。
現在では、立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指すことが多くなっています。

季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられていて、それを追い払うために節分には行事が行われます。
代表的な行事には、豆まきと近畿地方が中心だった行事が近年広がった恵方巻(えほうまき)があります。

豆まきは、以前は家長である父親か年男が炒った大豆を「鬼は外、福は内」と掛け声をかけて撒きました。
そして、撒いた豆を数え年分を食べるのが習わしでした。
我が家では、私が掛け声をかけ邪気を追い払い、一年の無病息災を願いながら落花生を撒きます。
数え年分の豆だと随分と数があるので、十の位と一の位を足した数を食べています。

恵方巻は、サラリーマンだった15年前に転勤で関西は奈良の生駒に住んだときに風習があることを知りました。
節分の夜にその年の恵方に向かって一言も喋ることなく、目を閉じて願い事を思いながら太巻きをかぶりつく習わしです。
因みに、今年の恵方は西南西です。
この地域では、「どんど焼き」とか「歳の神」と呼ばれている左義長(さぎちょう)が毎年14日夕方行われます。
その火にあたったり、餅を焼いて食べて「五穀豊穣」「村中安全」「無病息災」を願うものです。
この左義長の呼称は、全国各地で色んな呼称で呼ばれています。
長野県内でも一般的には「どんど焼き」「さいの神」と呼ばれ、県中部では「三九郎(さんくろう)」、県南部では「かあがり」「かんがり」と呼ばれています。

Dondoyaki Image007~05.jpg今日、その「どんど焼き」の準備が行われました。
約100世帯から注連縄、松飾り、たい、お札や達磨を大人達が集め、軽トラック2~3台ほどになりました。
これを木、青竹や縄で組上げます。
木や青竹を骨格にして三角柱を造り、周りに松飾、注連縄やお札などをさし達磨を青竹に飾りさして、周囲を縄で巻いて出来上がりです。
完成した様子が左の写真です。

私が子供の頃は、竹や縄で組上げ役は大人で、注連縄、松飾り、たいや達磨の集め役は児童会が中心となり子供がしました。
高学年の男子がリヤカーを牽いて、各戸を回って集めたものでした。
少子化の波でしょうか、このところは大人が主体になっています。
Harunonanakusa Image013~00.jpg春の七草といえば、芹(せり)・薺(なずな)・御形(ごぎょう)・繁縷(はこべら)・仏の座(ほとけのざ)・菘(すずな)・蘿蔔(すずしろ)ですね。
子供の頃、「せりなずな  御形はこべら  仏の座   すずなすずしろ  これぞ七草」と唱えて一所懸命に覚えたものでした。
これを現代語に訳しますと、芹・ペンペン草・母子草・はこべ・田平子(たびらこ)・蕪(かぶ)・大根となります。

毎年1月7日の朝、春の七草を刻んで粥に入れて食べます。
これを七草粥といいます。
七草粥を食べると邪気を払い万病を除くといわれ無病息災を祈る行事です。
お正月には、味の濃いおせち料理を食べるので、弱った胃を休め、不足しがちな野菜の栄養素を補うという意味もあります。

私の子供の頃に比べて、今は毎日がおせち料理という食生活です。
45年前の食卓は米飯が中心ではありましたが、だんだん肉や魚を食べる頻度が高くなった時期で、乳製品や野菜も摂るバランスの取れた食生活になってきた時期でした。
山国ですから、肉は鶏肉でたまに豚肉を食べました。魚は塩をふった鮭や秋刀魚などで、鮮魚や刺身はなかなか食卓には上りませんでした。
冷蔵設備が発展するまで待たなければなりませんでした。

その頃を思うと今は幸せです。