節分

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節分とは、本来立春・立夏・立秋・立冬の前日のことを指し、「季節を分ける」ことをも意味しています。
現在では、立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指すことが多くなっています。

季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられていて、それを追い払うために節分には行事が行われます。
代表的な行事には、豆まきと近畿地方が中心だった行事が近年広がった恵方巻(えほうまき)があります。

豆まきは、以前は家長である父親か年男が炒った大豆を「鬼は外、福は内」と掛け声をかけて撒きました。
そして、撒いた豆を数え年分を食べるのが習わしでした。
我が家では、私が掛け声をかけ邪気を追い払い、一年の無病息災を願いながら落花生を撒きます。
数え年分の豆だと随分と数があるので、十の位と一の位を足した数を食べています。

恵方巻は、サラリーマンだった15年前に転勤で関西は奈良の生駒に住んだときに風習があることを知りました。
節分の夜にその年の恵方に向かって一言も喋ることなく、目を閉じて願い事を思いながら太巻きをかぶりつく習わしです。
因みに、今年の恵方は西南西です。
Yukikaki Image011~00.jpgJosetusya Image013.jpg昨日の午後4時頃から降り始めた雪は、今朝目覚めて外を眺めたら12cmほど降り積もっていました。
今シーズン初めての雪かきをしました。
1時間の雪かきでしたが汗をかきました。
このところの運動不足の解消になりました。
作業途中、我が家の前の農道を除雪車が雪をかいてくれました。

テレビによれば、関東甲信地方で1日午後から2日未明にかけて広い範囲で雪が降り、東京・大手町でも2年ぶりに1センチの積雪を観測したとの報道がされていました。
さらに、東京、埼玉、神奈川、千葉の1都3県で、187人の方が骨折などの怪我をされたとのことです。

寒冷地・雪国育ちの人は、雪道の歩き方を幼い頃から知らず知らず身についていますので転んで怪我をすることが少ないんです。
基本は、まず歩幅を小さくして歩き、あまり足を高く上げずに歩きます。
そして、足の裏全体をつける様にしてゆっくり歩くようにすれば比較的滑らず歩くことが出来ます。
また、靴選びも大事です。都会では格好悪いなんていわずに、長靴スノーブーツをお奨めします。
靴底に溝のある靴をお持ちならば、この限りではありませんが・・・
Daikan Simo Image006~07.jpg今日は二十四節気の一つの大寒で、2月4日の立春までの期間を言います。
1年で最も寒さが厳しい時期でもあります。
大寒の小寒の七十二候は、「初候 は款冬華で蕗の薹(ふきのとう)が蕾を出す」、「次候 は水沢腹堅で沢に氷が厚く張りつめる」、「末候 は鶏始乳で鶏が卵を産み始める」です。

信州では、昔は各家庭で凍み豆腐、凍り餅や切り干し大根など寒さを利用して保存食が作られていました。
食生活の変化や簡便に保存食が手に入るようになり、その習慣もなくなってきています。

Kiribosidaikon Image005~09.jpgKiribosidaikon Image007.jpgそれでも我が家では、切り干し大根を毎年この時期作ります。
秋に収穫した大根を土に埋けて保存をしておいて、掘り出します。
掘り出した大根は、結構瑞々しい状態です。
大根の皮を縦方向に剥き、輪切りにして、さらに細切りにします。
これを広げて天日干しにして乾燥させて作ります。
天気が続けば4~5日で完成します。
乾物なので常温で保存ができます。
煮物などの料理に使います。
この地域では、「どんど焼き」とか「歳の神」と呼ばれている左義長(さぎちょう)が毎年14日夕方行われます。
その火にあたったり、餅を焼いて食べて「五穀豊穣」「村中安全」「無病息災」を願うものです。
この左義長の呼称は、全国各地で色んな呼称で呼ばれています。
長野県内でも一般的には「どんど焼き」「さいの神」と呼ばれ、県中部では「三九郎(さんくろう)」、県南部では「かあがり」「かんがり」と呼ばれています。

Dondoyaki Image007~05.jpg今日、その「どんど焼き」の準備が行われました。
約100世帯から注連縄、松飾り、たい、お札や達磨を大人達が集め、軽トラック2~3台ほどになりました。
これを木、青竹や縄で組上げます。
木や青竹を骨格にして三角柱を造り、周りに松飾、注連縄やお札などをさし達磨を青竹に飾りさして、周囲を縄で巻いて出来上がりです。
完成した様子が左の写真です。

私が子供の頃は、竹や縄で組上げ役は大人で、注連縄、松飾り、たいや達磨の集め役は児童会が中心となり子供がしました。
高学年の男子がリヤカーを牽いて、各戸を回って集めたものでした。
少子化の波でしょうか、このところは大人が主体になっています。
Harunonanakusa Image013~00.jpg春の七草といえば、芹(せり)・薺(なずな)・御形(ごぎょう)・繁縷(はこべら)・仏の座(ほとけのざ)・菘(すずな)・蘿蔔(すずしろ)ですね。
子供の頃、「せりなずな  御形はこべら  仏の座   すずなすずしろ  これぞ七草」と唱えて一所懸命に覚えたものでした。
これを現代語に訳しますと、芹・ペンペン草・母子草・はこべ・田平子(たびらこ)・蕪(かぶ)・大根となります。

毎年1月7日の朝、春の七草を刻んで粥に入れて食べます。
これを七草粥といいます。
七草粥を食べると邪気を払い万病を除くといわれ無病息災を祈る行事です。
お正月には、味の濃いおせち料理を食べるので、弱った胃を休め、不足しがちな野菜の栄養素を補うという意味もあります。

私の子供の頃に比べて、今は毎日がおせち料理という食生活です。
45年前の食卓は米飯が中心ではありましたが、だんだん肉や魚を食べる頻度が高くなった時期で、乳製品や野菜も摂るバランスの取れた食生活になってきた時期でした。
山国ですから、肉は鶏肉でたまに豚肉を食べました。魚は塩をふった鮭や秋刀魚などで、鮮魚や刺身はなかなか食卓には上りませんでした。
冷蔵設備が発展するまで待たなければなりませんでした。

その頃を思うと今は幸せです。

小寒

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季節を一般的に春夏秋冬に分けています。
春は3~5月、夏は6~8月、秋は9~11月、冬は12~2月というように3ヶ月ごととしています。
でも、実際に体感する季節は若干ずれている気がします。

それを補い気候変動の実態に即したのが二十四節気(にじゅうしせっき)です。
1年を24等分し各々名称をつけて呼ばれています。
今日から1月20日の大寒までの間を小寒と言い,今日の6日を寒の入りと言います。

さらに、馴染みが薄いですが七十二候(しちじゅうにこう)という二十四節気をさらに約5日ずつの3つに分けて季節を表わす方法があります。
小寒の七十二候は、「初候 は芹乃栄 で芹がよく生育する」、「次候 は水泉動で 地中で凍った泉が動き始める」、「末候 は雉始雊 で雄の雉が鳴き始める」です。

季節の春夏秋冬・二十四節気は、私たちの生活に関わりを深く持っていますし、農業とも密接な関わりがあります。
折りに触れて季節を紹介していきたいと思います。
今朝目を覚まして外を眺めると薄らと雪化粧していました。
ここから車で15分程の所に「きそふくしまスキー場」があります。
今月23日にオープン予定ですが、 関係者の方々は本格的な冬到来にホッとしていることでしょう。
この他に木曽郡内には「開田高原マイアスキー場」、「御岳ロープウェイスキー場」、「おんたけ2240」、「やぶはら高原スキー場」のスキー場があります。
こちらはすでにオープンしています。

子供の頃は、雪が降れば大喜びしたものです。
雪だるまをつくったり、雪合戦をしたりしたものでした。
大人になるにつれ雪が降るのが喜べなくなってきました。
それでも、転勤族で都会暮らしをしていたときは、シーズン2~3回スキー場に足を運んだものです。
田舎に引き篭もってからは、近くにスキー場があるのに出かけることがなくなりました。
ドカッと雪が降ると運動不足の解消にはなるのですが、雪かきが大変なんです。

冬に雪が降らないと農繁期に水不足になりますから、恵みの雪なんですがね。

師走

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今日から師走、年の終わりの月でなにかと気忙しくなります。
師走とは、坊主・僧侶が走り回るほど忙しいところから語源の由来とされています。
実際のところは、伊勢神宮や崇敬社の御師たちが各家庭を巡り神宮大麻・神札を配ることからだそうです。

日々の生活を送るに際して、季節はかなり密接に関係しています。
一般に春は3~5月、夏は6~8月、秋は9~11月、冬は12~2月とそれぞれ3ヵ月間で季節を区切っています。
昼夜の長短で季節を分けると、立春から立夏までが春(2/4~5/6頃)、立夏から立秋までが夏(~8/7頃)、立秋から立冬までが秋(~11/7頃)、立冬から立春までが冬となります。
これをさらに細かく分けて二十四節気七十二候としています。

一気に紹介できませんので、追々紹介します。
因みに、今日は立冬から立春(11/7~2/4頃)までの間ですので、二十四節気が小雪、七十二候は末候で橘始黄(たちばな はじめて きばむ) : 橘の葉が黄葉し始めるとなります。
でも、現在は毎日が記念日で12月1日は映画の日の方が親しみがありますよね。
2009 Koujinja Image005~06.jpg私の住んでいる地区に、荒神社という神社があります。
この荒神社は由緒ある神社で、「上田の中原兼遠に養育された駒王丸は、仁安元年(1166年)元服して木曽次郎義仲と名乗りました。この時、播磨国新十郎が、瀧倉三宝大荒神を背負いこの地に祀ったと伝えらています。祭神は素叉之男命を祀り。・・・」とあります。
平安時代からある神社で、三宝荒神信仰する神社だそうです。

荒神社では、正月・5月3日(春祭)・7月11日(夏祭)・11月23日(秋祭)に祭りが行われます。
11月23日の祭りは、収穫祭でもあり作物の無事の収穫を祝います。
農家からは、今年収穫されたお米や豆(小豆や大豆など)・大根・白菜など自慢の作物が供えられます。
神主の祝詞があげられ、お神酒をいただきます。
供えられた作物は、祭礼に訪れた氏子たちで競りを行います。
お神酒が皆入っていますので気が大きくなるのか、競り落としの金額は市販より大きくなります。
競りによる売上金は、神社に奉納されます。
この地域の中核をなすの運営の病院があります。
今から45年前の昭和39年(1964年)4月から診療が開始され、診療科は 内科をはじめとして 循環器内科・消化器内科・神経内科・小児科・ 外科・整形外科・産婦人科・眼科・耳鼻咽喉科・精神科・麻酔科・ 皮膚科・ 泌尿器科・放射線科・ 形成外科そして リハビリテーション科があります。

老父(87歳)が今日この病院に入院をしました。
先月も1週間ほど入院し、退院後2週間毎日放射線治療のため病院に通いましたが再入院となりました。
少し入院が長引きそうです。
最近5年ほどは病気がちで、内科・神経内科・外科そして放射線科にお世話になっています。
私自身も内科と眼科でお世話になったことがあります。

老父は46年前に十二指腸潰瘍を患ったことがあり、その当時はこの地域から60kmほど離れた松本市の病院で手術を受けました。
今でも複数診療科領域の重篤な患者に対し高度な医療技術を提供する三次救急医療を受けるためには都市部の病院に行かなければなりませんが、二次救急の医療はこの病院で受けることが出来ます。

この病院が来年4月に県の運営から地方独立行政法人の運営となる予定になっています。
医師の確保や医療の質に影響がなければいいのですが・・・。
チョット心配です。